2019年11月25日
こんにちは。
週末に子供の空手の稽古を見学して、
試合用の組手稽古で、
凄まじい蹴りを出す相手に
正面から突きを返して
腹を利かせて相手を泣かしてしまった
我が息子の勇姿に喜んだ
親バカの医学部合格請負人、
医学部特訓塾の本田です。
皆様、ご機嫌麗しゅう…。
さて、先日
ローマ法王が来日されましたね。
戦争を否定し、
人類愛を語る教皇のお話は
素晴らしいものでした。
バチカンは台湾と国交のある
数少ない国の一つであり、
そういうところも、私がバチカンを好きな理由の1つです。
(台湾は東日本大震災の時、真っ先に援助を申し出てくれました)
最近は中国政府が猛烈な
外交攻勢を仕掛けて
バチカンは台湾を切って中国に接近するのではないか?
という憶測も流れておりますが、
天安門事件で約一万人の学生を
戦車で轢き殺したり、
機関銃で虐殺した中国政府。
近年ではウイグル人を大量虐殺しています。
日本ではメディアの報道は少ないですが、
これは国際社会では、
明確な事実として
知られています。
こういったことを鑑みれば
ローマ法王が台湾を切って中国に接近することは
ありえないと信じたいものです。
ところで、
ローマ法王がお話しされた
「核廃絶」というお題目は正しいし、
異論を挟む知識人はいないと思うけど、
被爆国である日本ではなくて
原爆を使用したアメリカで
そういうことを仰って頂きたいものです。
また、
核保有国が、一方的に核を持たない国に
武力行使をしているというのが、
1945年以来続く国際情勢であることを考えれば
核保有国に守られている現状を
(核の傘の下での平和を)
「欺瞞的な平和」
の一言で片づけるのには
賛同しかねます。
核を保有しない日本が
核保有国からの軍事的な攻撃を受けないために、
核保有国の一つであるアメリカの核の傘の下に
いるという政治的な判断には
ある程度の妥当性があると思います。
例えば、ソ連が崩壊した後
独立を果たしたウクライナ共和国が
ソ連時代に配備されていた核兵器を放棄し、
地域の軍事同盟から離脱した結果、
近年、ロシアの侵攻を受け、
それを国際社会が黙殺した事実があります。
もしもウクライナがNATOに加盟していれば
ロシアは軍事侵攻をできなかったはずです。
ウクライナが同盟国の核の傘に守られていれば
ロシアもうかつには軍事攻撃できなかったでしょう。
それでも
「欺瞞的な平和」
なのでしょうか?
独裁国家とされる
イラクやリビアにはアメリカが
軍事攻撃をして
結果的に国家指導者は殺されることになりました。
しかし、一方でアメリカは
北朝鮮に対する軍事攻撃を行いません。
それは北朝鮮が核兵器を保有しているし、
長距離ミサイルもあるからです。
そうです。
核兵器を保有している国家は
他国からの軍事攻撃を受けていない
という厳然たる事実があるのです。
核保有国家が
核を放棄しない限り
核を持たない国家が核保有を目指すのは
生存本能的には仕方ないのではないか?
とすら思えてなりません。
ローマ教皇のおっしゃることは
宗教的には、理念的には正しいけれど
現実世界の政治には合わない気がします。
宗教家は理想論を言えるけれども
現実の生活がある国民を守るのが
国家の務めだとするのであれば
欺瞞的な平和であっても
それを選択するしか方法がないのではないか?
と私は思うのです。
と、個人的な考えを
つらつらと書いてみましたが、
ここは医学部予備校のブログでした。
あまり政治的なテーマは似つかわしくないですね。
私は
ローマ法王は尊敬しているけど、
世界史を学んだ人間として、
イギリスのカニング外交の主軸であった
「バランスオブパワー」
という考え方が
依然として正しいのではないかと
感じています。
だから、
先のような問いかけをしました。
戦争は絶対悪です。
だからこそ、
戦争を起こさないために
アメリカとの軍事同盟にいることが、
現状ではベターな選択ではないか?
と思います。
アメリカは悪い国ですけどね(笑)
いろいろ侵略するし
他国に無駄な争いの種を撒くし、最低です。
ローマ法王が真に正義を語るべき相手は
侵略をしている
ロシアやアメリカや中国であり、
核兵器を落とされた
核を持たない国家ではないと思います。
さて、さて・・・
今日このように政治的な色彩の強い
考えを書いてみたのは
私の主張を皆さんに伝えるためではありません。
医師になるということは
宗教家になることではないですから
常に現実世界と、向き合うということなのです。
戦争反対
とお題目を唱えても戦争はなくなりません。
同じように
理想論だけでは医療活動はできません。
例えば、
よくアメリカの大統領選挙で問題になる
中絶問題をどうとらえるのか?
医師としてあなたはどういう立場に立つのか?
意図しない妊娠に対し
中絶を認めるのか認めないのか?
なかなか難しい問題ですよね?
また、
「命が大事」
は当たり前ですが
では、人間の命と実験動物の命に差異があるのか?
とか
「トリアージ」
という考え方で医療の現場では
命に優劣をつけます。
助かりそうもない人は見捨て
ギリギリ助かりそうな人を助ける
そういう判断を求められます。
でも、
命に優劣をつけることは許されるのか?
という哲学的な問題に直面しますよね。
医師の世界は宗教の世界ではありません。
現実世界なのです。
お題目を唱えるだけでは
目の前の問題は解決しない。
生きた人間を相手にしているのだから
政治的な判断が必要になることばかりなのです。
だから
悩んで下さい。
どういう基準で自分は物事を判断するのか?
そしてあなたのモノサシで測ることが許されるためには
あなたはトコトン悩み、悶え、苦しまなければなりません。
だから、いつも言うように
高々受験勉強がしんどいくらいで
逃げ出してはいけない。
あなたはこれから医師として
世界を救い続けなければならないのです。
そんな世界を救うようなヒーロー、ヒロインになる
あなたは
受験勉強のしんどさごときに負けちゃいけないのです。
とまとめてみたところで
今日のお話はおしまいです。
ま、そんな感じで。
See you !