大きな存在になろう!

大きな存在になろう!

こんにちは!

化学担当の本田です。
皆様、ご機嫌麗しゅう…。
恩師の御尊父様の通夜に向かい
移動中です。
自分の行動を客観的に捉えて
分析をしています。
私が恩師と知り合ったのは
河合塾時代。
多感な時期に、
昼飯をご馳走になったことを
強烈に覚えています。
鰯フライ定食
確か600円。
恩師は、授業内容よりも雑談が響く
ひと昔前の予備校人気講師のタイプです。
飯をご馳走になった恩義を感じ、
予備校生時代、
先生を誹謗中傷した別の講師を
殴ってやる!
と息巻いて、河合塾の講師室に乗り込んだ
チンピラのようなバカは
愚か者だった若かりし頃の私です。
(偶々、その講師が不在で
私は暴力事件を起こさずに助かりました)
その私の馬鹿さ加減が気に入られ
その後、先生から益々気に入って頂き
何度も、飯をご馳走になりした。
まあ、先生の雑談の影響を
私は沢山受けました。
先生の名誉に関わるので書きます。
プロになってから
先生の模擬授業を
拝見する機会がありましたが、
本気を出した先生の授業は
プロもうなる程の切れ味です。
私自身は
先生の雑談が好きでしたが
プロ講師としては
雑談をほとんど交えずに
勉強ばかりさせる不肖の弟子となりました。
私が二浪以降、駿台に移籍した後も
東京に出講されていた先生に
何度もご馳走になりました。
私が東大に合格した時は
先生が当時、河合塾と並行して
経営されていた塾の卒業生として
しかも、初めての東大合格者として
(実際には通っていませんでしたが)
私の合格体験記を先生が適当に作文して
載せられました(笑)。
気恥ずかしい気持ちはありましたが、
嫌だとは感じなかったのは
何度もご馳走になった関係性が故かと
思います。
その後、色々な事があり、
一緒に仕事をしようと、
二度程、チャンスを頂きましたが、
いずれも断らせて頂きました。
先生には魅力を感じつつも
先生との方向性の違いやら
私の器量の小ささから
一緒に仕事をすることは
私には難しかったです。
その後、
ロータリークラブという
社会奉仕団体で偶然、再会してからは
多分、自分の人生で、先生を無視して
生きていくことは出来ないのだろうな、
という感覚、
例えるなら
御釈迦様の手のひらから飛び出せなかった
孫悟空の諦めにも似た感覚を自覚し、
今なお、師匠と仰ぎ見る存在に
なっております。
振り返ると
私の転機には
師匠が関わる確率が高く、
良くも悪くも
何らかの影響を受けてしまいます。
人生において
こんな風に影響を与えてくれる
存在を得たことは
もの凄くかけがえのないことで、
そういう意味では
私は幸運だと思います。
わたしは我が教え子達に
同じように大きな影響を与える存在に
なれたのだろうか?
権藤医師のようなケースは
Yes
だろうし、
小柏先生、
池谷先生、
望月先生、
のような教え子から
同僚になったパターンやら
我が塾の卒業生同士で
結婚したケースもあるし、
医学部特訓塾でなければ
なし得なかった合格
というものが
数多くある自信と自覚はあるけれど、
まだまだなんじゃないかな?
という感覚もある。
こんなことを考えながら、
良い意味で
もっともっと
塾生の魂を揺り動かす存在に
ならなきゃな、と感じています。
化学が誰よりも上手く教えられる、
化学の成績を誰よりも伸ばせる、
だけじゃなくて、
本田と出会ってしまったから
人生が大きく良い方向に向かった!
と言われるような
そんな存在になろうと思います。
ま、そんな感じで。
See you !